単刀直入に言いますが、元号はいらないです。

悪しき伝統・元号。いつまでこんなもんに固執してるんやねん。

やれやれ・・・
そもそも元号とは
そもそも元号とは、天皇が在位している間の年代につける称号のこと、で、大正、昭和、平成、令和・・・、という感じに続いていっています。天皇が変わったら称号も変わるのです。現在、日本だけが使うシステムとなっていたと思います(僕の知識が間違っていなければ)。
「西暦」などの、他の国とは違う時代の称号をもつことによって、大陸などに屈しない独立した国であることをアピールしようとした感じ、と筆者は理解しています。
西暦って?
西暦とは、世界で最も多く使われている時代の称号で、イエス・キリストの誕生を期限にして一年づつ数えていっています。
本題。元号はいらない。
最初に言ったとおり、元号はいらないです。
何故って、誰もが思い浮かべるのが、計算が面倒くさい点。西暦ならすぐにぱっと浮かぶのに。そして、外国人の方にわかりにくい、などなど。
何より僕が思い浮かべたのが、天皇が変わるたびに元号が変わる点です。これは「当たり前なこと」「常識」として受け入れられていますが、どうしても不利益が出ます。
元号が変わる、そのたびにあちこちで対応して元号を書き換えなければいけない点はもちろん。
それに、エンジニアの人なんかは、元号を用いているシステムを新たな元号に”わざわざ”対応(修正)させなければならないわけです。元号が変わるせいで。しかも、元号が変わるたびに。とか。
こんなふうに、大きな不利益が出るわけです。つまらない悪しき伝統、「元号」のおかげさまで。というか、システム対応に限らずとも、元号がいちいちリセットされるのは面倒です。
それに、ですよ。なんのために、「元号」なんてものはあるのか。
元号必要派の人の声を聞いてみると・・・、
「日本の大事な伝統だから守るべきだ!」「ずっとあるものだしなくすのはもったいない!」「これのおかげで独立性が維持できたのだ!」「元号いらないとかいうやつは日本から出て行け」「計算ができないとか頭悪い」
という感じに、日本人日本人と、謎の民族意識を持った方々がなかなかいる印象です。ふう。やれやれ。
「日本の大事な伝統だから」とか、「ずっとあるものだから」とか、それだけを理由にするなんて思考停止です。
「これのおかげで独立性が維持できたのだ!」と言ってる奴もいましたが、占領された過去を持っておいて「独立性を維持できた!」って・・・。
「元号いらないとかいうやつは日本から出て行け」と仰る輩もいました。価値観のあわないやつは排除・出て行け・・・、日本的であるといえます。ストレス過多の生活なのでしょうかね。
「計算ができないとか頭悪い」とかいう奴は「天徳元年」とか「長久三年」とか「治承四年」とか言われて一瞬で計算できるのかな。できるんでしょう、きっと。尊敬しますわw
こういう奴らが「昔」の伝統を大事にするせいで、「今」や「未来」にシステム対応などという無駄な作業が生まれて大きなデメリットが生まれていたりします。それに、システム対応に限らずとも元号が何度も何度もリセットされるのは面倒ですしね。最悪ですわ。
と、いう風に考えていくと、こういった伝統が大好きな奴らが無理やり元号を守り通している、ということではないでしょうか。そしてきっと、そういう人らが多数派なのかな。
ですが、ね。
ガリレオ・ガリレイは天動説という当時の定説(もはや伝統)を疑い、地動説を唱えました。処刑されてしましましたが、死後に正しかったことが証明されます。
アインシュタインは相対性理論を最初に発表したとき、突飛すぎて(常識や伝統から外れすぎて)、良い反応ではなかった。が、2019年の今日では、誰もがその名を知るものとなっている・・・。
つまり、当時の常識や伝統を疑った人らが、新たな時代の常識や伝統を作っていったわけです。
元号についても同じことです。「元号を廃止し、新たな何かを作る。」
伝統を守るべきだ~、ではなく、新たな時代の伝統を作り出す、という視点で考えるといいでしょうが。簡単な話です。
西暦を使うとか、皇紀を使う、というのもありでしょう。それに、筆者が主に問題点を感じているのは「元号がいちいちリセットされる」という点。それなら、今の元号(執筆時点では平成)を使い続ける、というのもOKかと思います。
他にも、「新たな、日本独自の仕組みを考える」というのも結構いい感じかと。
まとめ
元号などというつまらない悪しき伝統に固執する必要はありません。どんどん変えていくべし。そうでなければ、どこかで苦しんでいる人がいますよ。